イタリアとそれぞれの旅

イタリアとそれぞれの旅

ーこの旅のはじまりときっかけー

妻の親友のM氏はパリコレにも出展する”DANIELA GREGIS”の一員である。

DANIELA GREGISの従業員は総20人程度の小さな服飾店で、女性デザイナーのダニエラ氏が育児をしながら女手一代で育てあげた、わずか20人で服全ての、裁断から縫製、販売まで行っている少数精鋭の世界的なブランド。

6月中旬からこの服飾店の所有する居住兼アトリエアパートに3週間ほど留まらせて頂いた。

城壁に囲まれ、石畳が敷きつめられた小道の両手には、クッキーが積み上げられたパン屋や開放的なトラットリア、伝統的な音楽がかかるバルが点在する。ショーケースから覗く金髪の女性、レストランのウェイターの白いシャツと腰から巻いた黒いエプロンのコントラストが強い日射しのなかでさえ舞台に上がった街人は存在感を際立てている。

多くのお店が開け放った出入り口には、城壁で作った影で冷まされた風が生活路から入り込む。「こんにちは」とか「やあ」といった挨拶と溢れてすぎている笑顔は、僕の一番威勢のいい部分だけを選りすぐらなければ、ほとんどが対応出来ないと思わせるほどだった。

世界中のツーリストが一斉に旅行ケースに腰掛け、3m上にある時刻表を仰ぎ見ているミラノ中央駅から、40分ほど東へ下りベルガモ駅で下車する。ベルガモはチッタバッサ区とチッタアルタ区の2区あり、観光案内に掲載されているチッタアルタ区(城壁内)へはバスかフニコラーレ(登山鉄道)で駅から15分程度かけて移動する。

15世紀、ヴェネツィア人が要塞化した城壁内は、現在居住区として大半をしめている。おしゃべり好きで長屋人情っ気のある街の人の中には(アジア人ツーリストを滞在時にほとんど見かけなかった事も関係すると思うが)滞在3日目には「やあ、元気かい?」と馴染みのような声をかけてくれた。

城壁内を一周するのに30分あれば回れるような小さな街で、ダニエラ氏のお店が3軒並んでいる。彼女と会った1分後には、「お茶でも飲まない?飲ませたいものがあるわ」と言って、伝統的なCafeに僕たちを連れて行ってくれた。

彼女は「マロッキーノ」というエスプレッソにチョコレートをかけた、ほろ苦く甘い小さな飲み物と、幾つかのデザートを注文してくれた。彼女の雄大な生活や冒険についての話や、滞在中の僕らの旅行予定の話し(イタリア人はとにかく芸術と旅に拘りがあって、週明けは「週末はどこへ行った?」などの会話からスタートするようだった)などを30分程度話した。

ダニエラ氏とのお茶が終わり、3店舗ある内のひとつを任されているリタ氏(74歳の女性)に会いに行くと彼女はレジ台の隣で、秋冬の商品になる編み物をしている最中だった。僕が以後イタリア人の印象を思い浮かべる時があれば、リタ氏の会話の最中の立ち振る舞いを思い起こす。両手は常に大きな円を描く様に訴えかけ、喋りは10分をほとんど息継ぎが見当たらない程話したおす。通訳役の妻の親友は、僕たちに内容を教えると同時にあきれ顔で笑っていた。

リタ氏も挨拶すると程なくして「お茶飲まない?」と言ったあと「飲ませたいモノあるわ」と言った。面白い予感はしたが、30分前に飲んだマロッキーノを、別の(これまた伝統的なスタンドcafe)お店で飲む事となった。
僕が練習してきた「とっても美味しいよ!これ好きだな!」と言うとリタ氏もバリスタも輝かしい笑顔をプレゼントしてくれた。

滞在3日目の夜、M氏の異国の両親の家に招いて頂いた。

リカルド夫妻は、照明を取扱う仕事から芸術性への愛着で、アンティークショップが開ける程の収集家であるリカルド氏と、ほとんど料理研究家の奥様との二人暮らし。部屋の窓から望む、歴史的な教会と、そこで営む生活との一体感は、異国を訪れたという実感が湧いてくるものがあった。
今も自分の口から離れない、彼女の作った夕食の記憶は、頬をかたどるひとつの皺となっている。

出国から4日目、早々にスウェーデンのストックホルムへ格安航空券を手にライアンエアーで向かう。着陸時の大波の揺れには全身が硬直した。子供は泣き、騒然とするなかで座席の隣り合わせの人々はそれぞれに目を合わせるほどだった。

六月も終わりに差し掛かっていた事や、情報誌では初夏をうたっていたのも重なって、パーカーひとつリュックに背負って入国したが、そこで目にしたのはダウンやコートを着る地元の方々だった。念のためドレスコードがあっては困るとジャケットを忍ばせておいたのが功を奏してパーカーとジャケットをほぼ毎日の様に重ねて着ていた。

7日目ゴットランド島へ船で到着した時、陸の白さと海の青さの境界線を飛ぶカモメはなんとも心地良さそうで、ここで暮らしてみたいなと直感は言った。「魔女の宅急便」の舞台と聞いていたが、確かにこんな街が世界にはあるのかと、街中の玄関先に咲く真っ赤なバラを愛でながらすっかり惚れ惚れしてしまった。
映画とは無関係にだが、海岸に出て自転車を漕いだり、波に削り取られた真ん丸の石を拾ってみたり、遠く祖母の田舎へ夏休みにやってきた様な既視感を抱いてしまう。港で取れた魚介のスープを運んでくれた女主人は、僕の世界のキッチンからのひとり。人生で一番美味しいスープを頂いた。

世界的な建築家グンナール・アスプルンド氏が設計した「森の墓」は、スウェーデンで特に印象的な場所だった。
「人は死ぬと、森に還る」というスウェーデンの死生観をそのままに、林の幹の下に訥々と横たわった墓石さえも石に還り、僕はただただその墓を含めた自然の風景に見とれていた。妻と寄り添い、鳥の声だけが響いて木陰に潜み、目を閉じているだけで、その足元と第六感で感じている美しい土は僕の故郷になるべき条件を備えているように感じた。

12日目、石畳と地元の人々との歩幅も近づいてきて、片言のイタリア語も恥じらいが無くなってくる。ベルガモへもどり、着倒したパーカーやジャケットを洗濯し、ようやくこの旅の目的のひとつであった映像の撮影期間へと入る。
今年1月に曲集を書き始めるきっかけになった、たった1枚のチッタアルタ区が写った画角を追い求めながら。

15日目、どうせならと思いたち、スイスへ向かう鉄道のチケット取る。地形も共用語もよく知らずだったが、特に2日目に訪れたインターラーケンという街は山脈が作る綺麗な空気と美しい水に感動する場所だった。
首都のベルン近郊に宿を取ると、車両に乗っているのは、若い世代の10代から20代前半の学生らしき方々。
外国に来て素晴らしいなと思った事のひとつには、若い世代がとにかく快活でよく喋り、偶然同席する人にも「隣いいですか?」と言った具合にコミュニケーションを取っていること。電車内で携帯で俯いている老若男女ほとんどなく、改札口に置いてあるフリーペーパーなどを読んでいる。

彼らは自分の考えを他人へ伝える能力に長けていて、自分がどう思われているかより、自分がどう思うか、という事の方を大切にしているように感じるのです。そして彼らの開かれた親切心は、切符売り場でも、座席や人ごみの譲り合いでも、愛の告白でも、どんな場所でも簡単に目にする事ができる。

チューリッヒを後に残された日数は3日を切る。ベルガモに戻った後は1時間ごとに鳴り響く教会の鐘の音や、噴水の飛沫や、バルに流れる音楽、ツーリストと街人との会話を持参したマイクで録音、食べ残しの無い様にジェラートを頬張ることに費した。

就寝の鐘がなる街に住み、自然や資源を慈しむ人々に出会い、地産地消の故郷のような島を訪れ、隣人を愛する心に射抜かれました。

帰国後2日目、時差とまとわりつく暑さに身体を噛まれ、39度の高熱を出すものの翌日には健康体になり一昨日には健康診断を受診。
以前どこかで聞いた「世界が違ってみえる」という台詞。それを感じるのです。
今までの肥やしを手に、彼ら若者たちに見習い、自分がどう思うかを大切にできたらと思う。

素晴らしい日々に。

2014.7.19 K.Ayabe

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